三国志の武将達 ~ 公孫淵
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遼東の公孫康の次男。公孫康がなくなった際は兄の 公孫晃も公孫淵も幼く、おじの公孫恭が後を継いだ。 228年、成人していた公孫淵は公孫恭が性的不能で国を治める資質が無いとし、脅迫して公孫恭の位を奪い取った。魏の曹叡は公孫淵を揚烈将軍・遼東太守に任命し後を継がせた。230年には車騎将軍に任命された。232年、孫権は周賀と裴潜を遼東に派遣したが、魏の武将田豫に打ち破られた。同年公孫淵は宿舒と孫綜を派遣し、呉の藩国となりたい旨を申し入れた。そこで孫権は臣下の反対を押し切って張弥・許晏・賀達を遼東に派遣し、公孫淵を燕王に封じた。ところが公孫淵はこの使者を殺害して曹叡に送り、随行の軍隊財宝を奪った。これにより233年に公孫淵は太守と持節(専断権)の地位に加え、大司馬に命じられ楽浪公に封じられた。