三国志の武将達 ~ 公孫康
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公孫度の息子。襄平県の県令の公孫昭に招聘されて伍長となった。 204年、公孫度が亡くなると遼東太守の地位を継ぎ、弟の公孫恭を父が曹操から受けた爵位である永寧郷侯に任じた。平州牧を自称し、配下の韓忠を烏丸族の 蘇僕(峭王)に派遣し、印綬を送って味方につけようとしたが、この工作は 牽招の蘇僕に対する説得により失敗した。207年、袁尚と袁煕が曹操に敗れて烏丸の将兵ら五千と共に遼東郡に落ち延びてきた。公孫康は袁尚らが自分を殺して遼東を奪うつもりだと読み、また曹操が袁尚を破った後にあえて遼東に兵を進めずに引き返したことから、曹操が遼東を攻めるつもりが無いと見抜き、袁尚と袁煕を殺して首を曹操に送った。これにより公孫康は襄平侯となり、左将軍に任命された。