三国志の武将達 ~ 徐庶
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柄が悪く若い頃は剣を好む任侠の徒であった。初平年間(180年代後半)、人に雇われて仇討ちを行い役人に捕われた。自分の名前を答えなかったため、市中を引き回されたが、彼の知り合いだと名乗り出る者はいなかった。そのうち仲間に助けられて脱走した。その後改心して学問に帰依したが、初め塾の者はかれがならず者だと知っていて近づかなかった、徐庶は朝一番に起床し、一人で掃除を行い、経書に親しんで精通し、態度も謙虚であったことから石韜 と親しくなった。中平年間(190年代前半)、戦乱を避けて石韜と荊州に移り住んだ。 司馬徽や荊州の士人との交際がここから始まる。 諸葛亮とも出会い親交を深めた。諸葛亮は自らを管仲(春秋時代、斉の桓公の宰相)・楽毅(戦国時代、燕の武将) に喩えていたが当時の人々はこれを認めなかったが、徐庶と崔州平だけは「その通りである」と論じた。劉備に有能な人物と認められると徐庶は諸葛亮のことを劉備に語った。劉備は「君連れてきたまえ」と言ったが徐庶は「孔明は行けば会えますが、連れて帰ることは出来ません。将軍がご来訪下さい。」と勧めた。かくして三顧の礼が成り立ち孔明は劉備に仕える。