三国志の武将達 ~ 王観
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若くして父を失い貧しかったが、くじけることはなかった。 曹操に召し出されて丞相文学掾(丞相配下の文書係)に任命され、各地の県令を務めた。 曹丕の時代でも中央、地方、辺境の官を歴任した。 曹叡が即位し、地方長官たちは自分の郡の状況を三段階に位付けして報告しなくてはならなかった。王観の配下の担当官は自分の郡の状況を二番目の「中」と報告するつもりだったが、王観は「この郡は異民族と接しており、度々被害を受けている。なぜ一番下の『劇』にしないのか?」と咎めた。担当官は「そうすると太守の子が中央に人質に取られてしまうかもしれません。」と答えた。王観は病弱な子がいるのにも関わらず「太守が郡民のことを考えず、個人的な理由で郡民を裏切ってもいいのか?」と答えた。王観のこのような公平さは他の官僚も見習ったという。 曹爽 が配下を使って民間から家の屋材を切り取ったり私物を奪ったりすると厳しく取り締まった。 曹芳の時代に司空(建設大臣)にまで昇進したが、官位を固辞し、就任後数日で印綬を返還し、自宅に戻って逝去した。粛侯とおくり名された。